ネット社会に限らず、すべての社会空間の空気を悪くする奴の正体見破ったり

ズバリ、「自分が嫌だと思ったことは、みんなが参加している場でハッキリ表明せずにはいられない奴」


です。


勿論自分の言いたいことはハッキリ発言することは重要です。
そうしないと出世できないし。
でも時と場合を考慮しなければ、たちまちエアーがリードできないサムバディになってしまうんです。


僕がこの仮説に至ったわけを記述します。

2ちゃんねるのおもしろい書き込みを掲載しているブログ「すべらない名無し」を僕は好んで巡回しています。
どんな理由かわかりませんが、ここのコメント欄は面白いことを書き込むのが通例となっているようです。


しかし世の中の流転は絶えずなりといったところでしょうか、「飽きてきた」という意見が見られます。

「すべらない名無し - やりすぎ空き巣退治」より
http://by774.blog73.fc2.com/blog-entry-1913.html#comment-top
ピックアップしてみます。

15920  名無しさん  2007/02/16(金)  21:35:35  ID:-  [ Edit ]
いい加減まる見えネタうぜえ。普通につまんねえし

15956  名無しさん  2007/02/16(金)  22:49:39  ID:-  [ Edit ]
>15920
俺も同意。
昔はここも落ち着いてて居心地良かったけど、いつの間にか厨房が増えて米欄の流れが痛くなったよな。
ネタの感想じゃなくて、米で面白くしようと必死すぎて痛々しい。

最初はこんな感じ。
僕は彼らにこういう感想を持ちました。
「じゃあコメント欄は見なければいいのでは?」
彼らはこう反論してきます。

15969  名無しさん  2007/02/16(金)  23:15:11  ID:-  [ Edit ]
おもしろいネタならこんな風に文句はでないさ。
だが最近はネタがあまりにもしつこい&ワンパターンだから。
米欄見なきゃいいっていうのはあまりにも暴論だ。


彼の意見を要約してみます。
「面白いネタを書いてくれるなら文句は言わない。」
「最近のネタは(俺にとって)ワンパターンでつまらない。」
「コメント欄を無視することを強制するな」

中段意見が重要です。
「つまらないネタを見ないようにするため、コメント欄回覧を避ける」というセルフコントロールをせず、
「他人が書き込むネタの質を上げさせる」というどう考えても自己中心的な解決方法を提示しているのです。
よく理解できません。そんなことできるのでしょうか?


彼はどうしてこんな発言をしようと思ったのでしょうか?
そしてこの意見で現状を打破できると思ったのでしょうか。


多分、答えは「ネット社会の発言リスクの低さ」だと思います。
2ちゃんねる登場以来、2ちゃんでは何を言っても許されるという考えが生まれました。
そして2ちゃんがインターネット原体験の人たちは、その価値観を他の「暗黙の了解」がある場所でも持ち込んでしまうのです。


そこで、僕の冒頭の仮説と繋がるのです!(長かった)



まとめ
2ちゃんで培った価値観を他の場所で持ち出してはいけない