「フェイドアウト」って死に方あったらいいな

今日は、自分の不注意で友人を怒らせてしまった。まー根深そうだし、しばらくはアイツに頭が上がらないな、と思っていたところまではまだいい。
自分がここ一週間最高の自己嫌悪に陥ったのは、下校中の電車内のことだ。席が空いたので座ってしばらくしたあと、初老の男性が入ってきたから席を譲った。このことは今になっても悔やまれる。


なぜか?気づいてしまったのだ。「席を譲った行為」が単なる「友達にやってしまった不始末」への後ろめたさから発生したものだと。そんなことをして友人が許してくれると思ったのか。まったく別のことじゃないか。お前の後悔の念はそんなことで穴埋めされるのか。最低の話じゃないか、まったく。


たぶん「普通の人々」はこういう浄化機能をまったく意識せずに過ごしているんだろう。素晴らしいじゃないか。だって後悔や憂鬱を軽減してくれる機能なんだぜ?
そして、そんな人々を潜在的に侮蔑してきた俺は万死に値するし、侮蔑してきたにもかかわらずそんな機能が備わっていた事を悟った俺は今、精神的に瀕死に陥っています。「それでも、人生は続く」なんて格言はくれなくていいです。わかってますから。